先日、神奈川県立光陵高校で陸前高田民泊修学旅行の事前学習を行いました。
光陵高校は神奈川県屈指の名門校で、教育課程研究開発校として、生徒が主体的・創造的に進める21世紀型の学び(いわゆるアクティブ・ラーニング)の機会を多く取り入れています。
「アクティブ・ラーニングって、グループ学習のことだよね」
「アクティブ・ラーニングって、体験学習のことでしょ」このような発言をする方は、「アクティブ」を活動的と訳しているのかもしれません。つまり、生徒が席に座っているだけではなく身体を動かしながら学ぶということと誤解しているのです。
通常、「アクティブ・ラーニング」を日本語にするときは「能動的学習」と訳しています。 つまり、学ぶ姿勢や態度が受動的ではなく能動的だということです。身体を動かすかどうかは条件ではありません。
京都大学の溝上慎一教授は、「一方的な知識伝達型講義を聴くという(受動的)学習を乗り越える意味での、あらゆる能動的な学習のこと。能動的な学習には、書く・話す・発表するなどの活動への関与と、そこで生じる認知プロセスの外化を伴う」と、アクティブ・ラーニングを定義しています。
出典:http://www.core-net.net/g-edu/issue/5/
アクティブ・ラーニングで進める事前学習
プログラムは問題発見・解決プロセスのフレームで組み立てました。
まず「被災地の復興において大切なことは何か?」という問いに対し、個々人で調査し、グループディスカッションを行いました。
そこでは、多くのグループから「安全に、そして安心して生活できること」という回答がでてきました。
その回答を受けて、「安心安全のために、8年の歳月と1200億円をかけ、土地をかさ上げすること」についての是非を問うディベートを行いました。
生徒たちは復興ビジョンをつくり、現状を分析し、問題点を認識した状態で現地を訪問します。
現地では単に被災の状況を見るのではなく、民泊することで地元のひとの考えを深く聞くことのできる機会を得ます。
そして、机上の空論がはじめて生きた議論に変わります。
21世紀に必要な教育とは何か
私が高校生だったときは、いわゆる知識詰込み型で、先生が講義しているのを黙って聞いているだけの授業でした。
自己を押し殺し、社会や会社のために自己犠牲も家族時間の犠牲もいとわない忍耐力を持った企業戦士を育て上げる教育は、貧しかった日本が爆発的な経済成長を遂げることができた最大の要因だと思っています。
戦後の焼け野原から豊かな日本を作り上げてくれたこと、本当に感謝をしています。
しかし、その代償として少なからず歪みも生まれたことも事実です。
中でも最大の歪みは家族関係の崩壊だと思っています。
大学生のときに児童養護施設支援の団体を立ち上げたご縁で、現在も自立支援ホームで家族関係の問題の最中にいる子どもと関わらせていただいていますが、多くの社会問題が家族関係の崩壊を起点に引き起こされていると感じています。
近年、「子どもの貧困」が社会問題として取り上げられていますが、私は経済的に貧乏であること自体は問題だとは思いません。夫婦関係、親子関係、親族関係が切れてしまい、誰にも頼れない状況こそクリティカルな問題なのです。
親が子どもを育てられなくて施設に預ける。
子どもたちには何も罪はありませんので、そのこと自体を容認することはできませんが、厳しい環境の中で預けざるを得ない状況になってしまったことは理解できます。
ただ未熟な親を責めたてるだけでは、この問題が解決することはありません。
未熟な親が生まれてしまう社会的な背景に目を向けると、この問題の真因は、社会の最小単位である「家族」とは何か?を誰からも教わることができない状況が見えてきます。
子どもを施設に預ける親もまた、少なからず自分が育てられた家庭環境に問題を抱えています。
離婚により必ずしも親子関係が悪くなるわけではないということは触れておきますが、一つの参考指標として離婚件数を取り上げると2006年から2015年までの10年間で241万組となっています(婚姻数は685万件)。
このことは、家族関係に問題を抱える子どもは一部ではなく、むしろまったく問題がない家庭のほうが珍しいのだということを示唆しています。
良好な家族のロールモデルがなく育った子どもたちは、どこから家族の在り方を学べばいいのでしょうか?
家族の在り方を学べば社会は変わるのか?
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もし子どもたちが「家族」について上記のような点に対し深く考え、そのことを友達と共有する機会を持つことができたなら、社会は変わると断言できます。
私たちは、家族の在り方を学ぶ機会として修学旅行における農家民泊を推進していますが、それにより「学校が変わった」という事実を目の当たりにしてきたからです。
この点については以前の記事に詳しく書かせていただきました。
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地方の農家さんは、都市部においてはすでに失われてしまった古き良き家族の形を守り続けている人たちです。
「家族とは何か」
この問いに対し、地方で出会った農家さん以上の答えを持った人に出会ったことはありません。
まとめ
21世紀型の学びとしてアクティブ・ラーニングの導入が進められています。主体性、創造性を育む学びの手法としてどんどん導入してもらいたいなと思います。
その一方で、学びの手法だけに囚われることなく、「今、必要な学びとは何か?」を常に議論すべきであると考えます。
家庭教育と学校教育という役割を考えれば、そのようなことを学校で教える必要があるのかという疑問もでてくるかもしれません。
しかし、社会の現状を見渡したうえで、改めて学校の役割とは何かを問い直す必要があるのではないでしょうか。
21世紀の学びは、家族という社会の最小単位の在り方を再定義することから始まります。
誰も経験したことのない未来でどう生きたいのか、
一人ひとりが、自分なりの答えを出していくことを求められているのです。