イマジネーションと技術力、子育てと同じ。
田植え前の大事な作業、代掻き。
田んぼの土を砕く作業を「田起こし」があって、その後、水を入れてすぐに田植えをするわけではない。
田植え前の重要な工程、その作業が代掻き。
新潟県の妙高では、代掻きとは言わず、「田掻き」という。
読み方は「たーかき」
発音はターコイイズブルーの「タ~」と牡蠣(オイスター)の「かき」を合わせて、「た~かき」という。
たーかきとは、田んぼの土を柔らかくし、水が「ちょうどいい具合に」浸み込みやすくし、稲の病気を防ぎ、快適に育つよう育成環境を仕上げる作業をいう。
ちょうど、赤ちゃんを育てるために、清潔な部屋にきれいなタオルや布団のようなコットン系の何かを準備するのと同じ。その時、お母さんは大事な赤ちゃんが病気にならないように、心を込めて「世界で最も清潔で安全な場所」に整える。
そして、田掻きは実はすごく技術のいる作業。
一枚の田んぼを満遍なくならさないといけない。
昔、高校の先生で黒板を消すのがすごく下手な先生がいた。黒板消しで何度も何度も手を動かしているにもかかわらず、「消し残し」があってイライラした覚えがある。
「消し残し」は、水が張った田んぼでは見えにくい。
まして、整地された田んぼでなく、昔ながらのいろんな形のした棚田ではなおさら。
また、力加減も必要。「ちょうどいい具合」に。
満遍なく、平均化し、「ちょうどいい具合」にならす。
そのためには、卓越した想像力をベースに相当な技術力が必要なのだ。
そして稲が最も快適に育つ柔らかさに仕上げる。
どの程度やったら快適な生育環境となるのか、そこが想像力。
苗に快適に育ってほしいと願う気持ち、それが愛情。
「この田んぼに植えられて幸せだ」と稲が感じるようにならす。
水を張った田んぼ。みんな同じように見えるが、その生育環境は田掻きをやった人によって全く異なっているということなのだ。
その違いこそが、イマジネーションと愛情。
農業は奥が深い。